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広告業界の未来

第6回 interview

広告業界の未来を語る[株式会社スタジオ イー・スペース 代表取締役 クリエイティブディレクター 村上 竜雄氏1/3

まずはじめに、村上さんがクリエイターになったきっかけについて教えてください。

当時まだ、クリエイターという言葉自体があまり使われておりませんでしたので、「クリエイターになる」という意識はなかったのですが、大学を卒業後、第一生命に就職したんです。面接時からずっと営業職を希望していたのですが、入社式で「辞令:情報システム部勤務を命ず」となってしまいまして・・・まぁ、理科大卒でシステム系の資格も持っていたので、今考えれば、理解できるんですけどね(笑)。正直不満で、すぐに外資系の広告代理店から内定もらって、本気で移ろうと思っていたところに、とても信頼していた大学の先輩から、「だまされたと思って3年やってみろ!」と言われまして、そのまま、真に受けて「だまされた」と思って、石の上にも3年じゃないですけど、「吸収できるものは何でもやってやろう!」という気持ちで残ることにしました。

システム部での配属が、昔からあるレガシーなシステムを、21世紀に向けて新システムに作り変えましょうという大きなプロジェクト。ちょうど開発フェーズが3年目で完了したんですが、基幹業務システムの開発という仕事に、自分の将来を描くことができなくて、ちょうどよいタイミングだったので退職させていただきました。今になって思いますが、この3年間はホント色々なことを学べた価値あるものとなりました。大企業というものを中から見ることができましたし、データベースとかシステムとか、まだパソコンを使っているのはオタクと思われていた時期に、かなり深くまで理解することができたので、その後のキャリアに大きく影響する3年間となりました。ご指導いただいた先輩方には今でも感謝しています。

実は、学生時代から、結構本気でバンド活動をやってまして、デモテープのジャケットとか、ライブのチラシとか、そういうグラフィックを素人なりに作ったりしてたんですよ。レコードジャケットの世界観とかが大好きで、バイトで稼いだお金は全てCDに使って・・・というような時期もありました。

それで職種は全然違うんですが、たまたまCDやVIDEOパッケージのデザインをしている会社が募集を出しているのを見つけて応募したんです。ぶっちゃけ軽い気持ちで試験会場に行って驚いたんですが、何十人もの応募者がいて、皆さん美大や専門卒で大きなポートフォリオ抱えてたり、他のデザイン会社からキャリアアップを目指していたりといった感じで、第一生命のシステム部にいました。なんて人間は例外中の例外で、最初は「どうしたの?」って、かなり変わり者と思われていたと思います(笑)。面接では、実力のなさを扱き下ろされましたが、結局「とにかく音楽が好きそうだから」っていうことで拾ってくれたんです。ただ、お給料は前職の半分以下。車とかも売り払って、家賃すら厳しくて、弟を巻き込んで一緒に住んでみたいな(笑)。

まだアナログ入稿がメインで、徐々にDTP化してきた時代でした。デスクにMacはなくて、カッターやペーパーセメントで版下を作るところからのスタートでした。この時期に、システムとグラフィックデザインというまったく異なる職種を経験できたのは、本当にラッキーだったと思います。今でこそWEB業界は、クリエイティブとテクノロジーがすごく密接に関係していますけど、当時はまったく別世界のものでした。

スタジオ イー・スペースを設立されたきっかけについて教えてください。

デザイン会社を退職して、3DCGを学びに「デジタルハリウッド(以下、デジハリ)」に入りました。ちょうど3Dが出始めていた時期で、SGIのワークステーションとか、とても個人じゃ買えないような値段だったので。。。

自分は3Dをやりたかったんですが、グラフィックの基礎となる、PhotoshopやIllustratorもカリキュラムに入ってたんです。自分は元々現場で触っていたので、必要ない講座だったんですが、仲いい奴らにアドバイスしたりと、楽しく遊んでました(笑)。その時に講師をやっていたのが、後に、一緒にスタジオイー・スペースを創業することになる両角(モロズミ)だったんです。

正直、「起業するぞ!」っていう気概ある感じではなく、仲間とVJ活動しながら、フリーで仕事しながらっていう感じだったので、自分たちのベースとなるプラットフォームを作りたかったんです。

その後、法人化して5年経ったときに、今でもお世話になっている兄貴分的な社長さんに色々とご助言いただき、会社やるなら、きちんと社長業もやらなければと心改めて、士業の皆様に顧問契約をお願いし、評価制度や就業規則を明確にしたり、事業ドメインやコンセプトを明文化したりと、3年くらいかけて現在のベースを作り、今に至ります。

スタジオ イー・スペースの事業内容ついてお聞かせください。

「プロダクション事業」、「サービス事業」、「応援サポート事業」という3つの事業を行っています。

「プロダクション事業」は、そのまま名前のとおり制作プロダクション業です。現在は8割くらいがWEBやモバイルメディアの仕事になっています。ほぼ、BtoBのモデルです。それに対して、「サービス事業」はBtoC。WEBサービスに加えて、カフェ(縁縁)も経営しています。サービスをエンドユーザに直接提供してゆく事業です。

「応援サポート事業」というのは、そのままですが、頑張ろうとしている人々を「応援して行こう!」という事業で、その1つがアーティストギャラリーです。自分自身もファインアートを作っていた頃に実感したのですが、お金や実績がないと、発表する場って本当に少なかったんです。「できれば無料で、発表できる場を提供したい!」という思いで、ギャラリーカフェという業態を選択しました。カフェだと、お客さんにも気軽にアートにふれてもらえるし、アーティスト側も友人以外の人に見てもらえる機会が増える。これって、すごく大事なことだなぁと思ったんです。とは言っても、飲食経営については全くの初心者。まだブログもSNSもなかったころに、メーリングリストを活用し、ネットで賛同者を募ったところ、知り合い経由で数十人もの人が集まってくれました。その中には、建築士やソムリエ、調理師など、様々な才能や経験を持った人が、手弁当で協力してくれて、皆さんの支えで、スムーズにオープンさせることができました。本当に感謝しています。人と人との縁。アーティストとお客様の縁。すべての縁のつながりを大切にしたいという想いで、お店の名前を「縁縁」としました。その直後に広がったSNSでは、いち早くコミュニティを立ち上げ、設立メンバーが中心となって、ネットの人脈をリアルでつなげようと始まったRSN(リアルソーシャルネットワーク)は、次回で40回目となります。

書籍出版も多数されているようですね。

これも「応援サポート事業」の位置づけで、自分のスキルを向上させたいという人を対象とした技術本を出版しています。書籍の執筆については、未来のクリエイターを応援するという側面と同時に、もう1つ、社内のスナップショットをドキュメント化するという意味合いも持たせています。実際に日々制作現場で仕事しているスタッフが分担して執筆を担当するので、その時点での社内スキルのスナップショットになるんです。それを書籍という形でオープンにして、盗めるものはどんどん盗んで頂いて、時には読者の方からご指摘も頂いて逆に学ばせていただいたり。編集方針やアプローチ方法を毎回変えて、同じ切り口の本は極力作らないよう意識しています。そうして今までに14冊(共著含まず)の書籍を出版してきました。現在15冊目を作っている真っ最中です。

エコノコやロハスイッチという活動もされているようですね。

当社のホームページを見て頂くとお分かりになるかと思いますが、「ハッピー」が3つ書いてあります。これは、「お客様」と「スタッフ」と「世の中」に対して「ハッピーを提供していきたい。」ということなんです。10周年を迎えた時に、世の中に対して、何か目に見える形で出来る事はないだろうかと考え、自分たちはWEBを作ることを生業としているのだから、WEBを通じて「ハッピー」を発信して行こうと思ったんです。コツコツと積み重ねてゆけば、少しくらいは世の中の役に立つんじゃないかなと思いまして。合わせてカーボンオフセットを導入したり、カフェでは、NGOさんとコラボレーションしたり、環境への取組みを積極的に行うようになりました。無理なことやると続かないので、例えば、近所のゴミ拾い活動に近い感覚ですかね。事業ではなくて、自分たちのCSR(企業の社会的責任)として取り組んでいます。エコノコやロハスイッチはそうした中で生まれたサイトです。