米田 ここ2、3年で、広告のあり方が変わってきて、ソーシャルの活用も当たり前になってきていますが、田端さんが特に気になっていることってどんなことですか。
田端 広告という言葉を聞きますと、「広告って、そもそも何だろう?」って思うときがあります。一般的に言うと「広告枠」のことを指すのでしょうか。自分としては、結果として広告的に機能すれば、全てそれが広告になるんじゃないかと思っています。
米田 なるほど。今は、広告そのものではなくて、広告的に機能したものこそ広告である、と。
田端 今までは、あるブランドのイメージをアップしたいとなると、まずはCMを打ちましょうという話が出てきました。ところが今は少し違ってきているような気がします。たとえば、スターバックスでしたら、店員が、かわいい子かイケメンしかいない。これはある種の採用戦略かもしれませんが、ある意味、広告でもあると思うんです。
米田 確かに、スターバックスって、マスのCMとか打っていませんよね。
田端 一流の立地を狙って、店を構えて。店の中もオシャレで、聞こえてくる店内の音楽もかっこよくて。
米田 それって、もはや広告であるし、現代的な広告の最先端であるということですね。
田端 そうです。これらの店づくりでブランドイメージが上がるのであれば、それは広告的に機能したと言えますよね。つまり、プロセスなんかはどうでもいい。結果から逆算して広告的に機能していれば、それで全部よくって。入口の部分は何でもいいんじゃないかって思っています。
米田 何でも広告になるということですね。今って、広告という概念がどんどん崩れてきていますが、同時に、コンテンツの概念も変わってきていますよね。
田端
昔は、広告とコンテンツとコミュニケーションって、はっきり分かれていたと思うんです。たとえば、月9のドラマがあります。ドラマ本編はコンテンツですよね。そこに対して、合間にCMがはいります。これは広告ですよね。そして、そのドラマを見た女子高生や女子大生が、翌朝学校に行ったとき、ドラマの展開をめぐっておしゃべりします。「あのとき、ああしておけばよかったんだ」とか。「あいつは意気地なしだ」「優柔不断だね」とか、いろいろ言うわけじゃないですか。
米田 それが、いわゆるコミュニケーションですね。
田端 ところが、今は、そうじゃなくて。コンテンツとCMをはっきり分けちゃうと、ハードディスクレコーダーに録られてCMを飛ばされる。だから、プロダクトプレイスメントを使ったりして、広告とコンテンツの境目を曖昧にしておかないと見てもらえない。あと、今ってTwitterなりLINEなりを使って、ドラマを見ながらやりとりしちゃうじゃないですか。あれってコミュニケーションですよね。実は、コミュニケーションで盛り上がるための共通の話題を提供するものとしてコンテンツがある、みたいな。
米田 入れ替わっていますよね。もう、どっちがメインで、どっちがサブか分からない。
田端 ドラマの展開をチラ見しながら、手元ではLINEで仲のいい友だちと、あれこれ言い合うみたいな。こんな場面からも、コンテンツとコミュニケーションの境目が変わってきたと言えますよね。
米田 「天空の城ラピュタ」におけるバルス祭りもそうですよね。「バルス」をしたいがためにリアルタイムでテレビを見る、というような。
田端 広告は企業からのものですよね。コンテンツは、どちらかというとメディアやクリエイター、ユーザーのもので。コミュニケーションは、完全にユーザーで、CtoCのもの。今、そのどれもが全部ゴチャゴチャになったというか、境界線がなくなっている感じがします。要は、そういう環境なので、結果的に売上が上がったり、ブランド認知が上がったりすれば、もう結果オーライなわけで。かつては、ボクシングのようにルールが決まっていて、戦う場所も決まっていたのが、今ではストリートファイトっていうか。ケンカ殺法というか。勝ちゃいいんだみたいな(笑)。
米田 もはやバーリトゥード(総合格闘技)ですね。空手家や柔道家もいれば、ケンカ家もいて。ちなみに、なんでもありになってきている今、田端さんが注目している企業やサービスってありますか。
田端 ジョギングアプリってあるじゃないですか。ランタスティックとか。このジョギングアプリをスポーツシューズのメーカーが次々と買収するというのは、広告なのかどうかですよね。ランタスティックって、確かアディダスが買収しましたよね。ナイキでいうナイキプラス的なことをやりたくて。
米田 スティッキーっていうか、粘着性があるサービスというのが、結局、広告的なものになるってことですかね。
田端 おそらく、5年くらい前に遡ったとき、ナイキやアディダスが広告代理店の営業マンを呼んで、“もっと本質的にユーザーとのエンゲージメントを高めるようなアイデアはないのか”という相談をしたと思うんです。
米田 今も、そういった相談が多そうですよね。どの企業でも。
田端 「スマートフォン時代で、こういうジョギングアプリみたいなのつくって」「GPSと連動して」とか。「ソーシャルと連携して、走っている最中にみんなが『いいね!』をして、拍手喝さい」みたいな所まで考えられるのは、既存の広告業界の延長というよりは、どちらかといえば、スマホベンチャーの領域であったりするわけで。でも、これって結果的には、ブランディングになっていて。企業とユーザーの距離感を近づけ続けるという意味では、すごく広告的に機能しているものだと思っています。
米田 もはや広告枠だけが広告とは言えない、目にするものすべてが広告って感じですね。
米田 コミュニケーションにおいては、まさに戦国時代のような様相を帯びつつある今、どのような人材が求められますかね。
田端 ネット広告って、極限までターゲティングされて、しかもターゲティングのアルゴリズムが自動で最適化されていくじゃないですか。それはそれでいいと思うのですが、一方で、人間が介在していくならではの価値ってなんだろうと、ずっと思っていて。結局、よく分からないけど、田端さんがそこまで言うのであれば、やってみましょうみたいな話ってあるじゃないですか。
米田 結局、パーソン・トゥ・パーソンみたいな。
田端 いかに訳の分からないものを売れるかっていうのが、実は大事だと思っています。“この人だったら、ちゃんとやってくれるだろう”とか、“裏切らないに違いない”とか、要は買い手からの信頼なんですよね。きわめて属人的なことが決め手になったりして。
米田 田端だから仕事を任すとか、米田だから頼みたいみたいな。
田端 ここ3年で、広告営業で新卒が入るようになってきまして。当然、部門長として人材の採用や育成に責任があるわけですけど、実は悩ましい部分もあって。育成について言うなら、金太郎あめ的な、ちゃんと組織化されたメニューをつくってしまうと、だったら究極的には人工知能でいいじゃんということになっちゃう。
米田 田端さんのかばん持ちを1年やるのが、いちばん勉強になりそうな気がしますね(笑)。ちなみに田端さんなりの採用基準というのはありますか。
田端 なんというか、面白いやつですね。採用の面接で質問するじゃないですか。なぜLINEに入りたいと思ったんですか、とか。そう聞かれたとき、小論文の模範解答みたいなことを言われると、もうその人じゃなくてもいいということになるじゃないですか。もっと生身の原体験を聞かせてくれる人がいいです。
米田 なるほど。原体験はコピペできないですからね。
田端 たとえば、“僕は家が貧乏だったけど、スタンプを作ったらクリエーターズマーケットでがんがん売れて、それで親に車を買ってあげました”みたいな。要は、普遍的な解を求めていないんです。新しいサービスを考える時って、暗中模索じゃないですか。決まったアンサーを持っているわけじゃない。だから、そんな時、一緒にトライ・アンド・エラーを繰り返しながら、プロセスを一緒に建設的にクリエイティブに楽しめる仲間かどうかを、面接では見ています。
米田 その辺、僕も良く分かります。
田端 試行錯誤の間、自分も分からないって不安になるのではなく、「だったら田端さん、こうじゃないですかね!」って熱く言ってくれるやつがいい。採用ではまさしくそこを見ています。